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映画『それいけ!アンパンマン ブラックノーズと魔法の歌』感想

 2010年公開のアンパンマン映画『それいけ!アンパンマン ブラックノーズと魔法の歌』の感想になります。

それいけ! アンパンマン ブラックノーズと魔法の歌 [DVD]

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 『アンパンマンのマーチ
なにが君の しあわせ なにをして よろこぶ
わからないまま おわる そんなのは いやだ

 本作の主人公(ゲストキャラ)カーナは、深い谷底に住む闇の女王・ブラックノーズに育てられた、ひな鳥の化身の少女である。彼女はブラックノーズによって歌やダンス、おいしい食べ物を楽しむことは、間違った幸せだと刷り込まれて育ち、ある日、人々から幸せな気持ちを奪う「暗闇の笛」を持たされ地上に送られる。「暗闇の笛」を使って徐々にアンパンマンワールドを暗くしていくカーナ。そんな彼女に対して何も知らないアンパンマンは、自分にとって幸せとは、誰かの役に立ち、その人を笑顔にすることだと語る。私が本作で面白いと思ったのが、アンパンマンの「誰にでも、誰かのためにできることはあると思うよ」という台詞に対して、カーナが「私は、お母さま(ブラックノーズ)のために…」と独白するところです。これって要は「そんなこと言ったら私だってブラックノーズの役に立ってるわ!(意訳)」と、アンパンマンにツッコミを入れてる訳なんですよね。誰かのために行動しているという意味では同じ二人ですが、それが自発的なアンパンマンと受動的なカーナとの対比としてよく表れていたシーンだったと思います。そしてカーナは本作で何度も流れる『アンパンマンのマーチ』を聞くことで、ブラックノーズの言う幸せに疑問を持ち始め、悩むことになります。自分にとっての幸せとは、ブラックノーズにとっての幸せとイコールなのだろうかと。

f:id:chapida:20190223143545p:plainアンパンマンが顔をあげて、俯いた顔をあげるカーナ

 カーナが「暗闇の笛」を吹いて、人々から幸せな感情を奪う場面を見て私が思い出したのが、高畑勲監督の映画『太陽の王子 ホルスの大冒険』に出てくるヒルダでした。悪魔の妹であり、人間の心と悪魔の心の間で葛藤するヒルダは、本作のカーナと重なる部分の多いキャラクターだと思います。(例えばカーナが"カラフルな"食べ物のことを「そんなのは無駄」と言うのと、ヒルダが"綺麗な"着物のことを「そんなのは無駄」と言うのは完璧に重なります)『ホルス』では劇中、ヒルダが歌を歌い始めると、村の人たちが仕事をほったらかしてヒルダの歌に聞き入ってしまう場面があります。カーナの「暗闇の笛」が悪いものとして描かれるように、団結がテーマの『ホルス』では、ヒルダの歌(=享楽的な大衆文化)が悪いものとして描かれ、それによって(団結しようとする)村の労働者たちが、バラバラの個人に解体させられてしまいます。まさに音楽というものが、恐怖にも快楽にもなるということが示唆されているのです。(ちなみに私は『ホルス』を見た後で、後に『マクロス』が流行ったのを残念がった人たちの気持ちが少し分かりました。マクロスのようなアイドルによる歌の力で戦争が終結する物語って、『ホルス』の思想とは真逆ですもんね…)

 最終的にカーナは自分自身のやりたいことに気付き、『アンパンマンのマーチ』を自ら歌います。覚醒したカーナと町のみんなが歌う『アンパンマンのマーチ』を聞いたアンパンマンは奇跡の復活を遂げ、トリプルパンチ(アンパンマンカレーパンマンしょくぱんまんの3人が力を合わせた技)が効かなかったほど強いブラックノーズを、見事アンパンチ一発で倒します。これは、映画の冒頭でアンパンマンは観客に向かい、『アンパンマンのマーチ』が劇中で流れたら一緒に歌って応援してほしいとお願いしていたので、おそらくカーナたちの歌だけではなく、私たち観客の気持ちも加わることによって、アンパンマンは奇跡的な力を発揮できたということなのでしょう。カーナの覚醒=歌いたかった『アンパンマンのマーチ』を歌うという行為には、カーナが自分自身を知り、アイデンティティが確立されたことや、ブラックノーズという毒親からの脱却を表していたように思います。覚醒したカーナの歌の効果は絶大で、当初はお祭りの準備をしていた町の人たちに向かい「お前たちが楽しみにしているお祭りなんか、めちゃくちゃにしてやる!」と、テロリスト的なことを言って暴れていたばいきんまんさえも、最後にはちゃっかりお祭りを楽しんでいました。

 本作を見て幸せについて考えたとき、どうしても考えてしまうことがあります。それは、ブラックノーズが否定した「歌やダンスやおいしい食べ物を楽しむこと」は、本当に幸せなことなのだろうかということです。ブラックノーズはアンパンマンにやられる寸前に、「やめろ、笑うな、苦しい」と漏らします。ブラックノーズにとっては、人の笑顔を見ることが苦痛なのです。アンパンマンは、自分とは相容れない存在であるブラックノーズを暴力(アンパンチ)によって退き、アンパンマンワールド(=自分の仲間たちの世界)の平和を保ちます。ブラックノーズが救われることはないですし、物語はブラックノーズを除く"みんな"で歌う姿や、"みんな"でお祭りを楽しむ姿(=理想化された全体主義)が提示されて終わります。こうして考えると、ばいきんまんがお祭りを楽しんでいたのは、カーナの歌の力によって洗脳させられていると読むことができるかもしれません。…とはいえ、これは『アンパンマン』というある種理想化されたファンタジー世界のお話なので、これはこれでオッケーのように思いますし、色々考えさせられるきっかけになるという意味でも本作はやはり面白いです。ちなみに、ブラックノーズを完全な悪として描き、それを否定することが善である本作では、カーナは「本当の自分の歌」を歌うことができましたが、より現実を反映している『ホルス』のヒルダはそうではありません。ヒルダは最終的に「命の珠」という永遠の命を捨て、悪魔ではなく人間として主人公・ホルスらと村で生きることを選ぶのですが、私たち観客は、最後までヒルダの「自分自身の心の歌」を聞くことができません。人として村の中で生きていくことを選んだヒルダが、一体その後どんな歌を歌うのか(あるいは歌えないのか)。それは、人々を個々人に解体させるような消費的な歌でないことは確かでしょうが、じゃあ具体的にどういう歌なのかは、おそらく高畑監督も含めて誰にも分からないのだろうと思います。きっとそれは、ヒルダ自身がこれからの人生の中で見つけていくものであり、また、物語内で提示しないということが、人間として葛藤し続けるヒルダを象徴することになり、私たちが考えるきっかけにもなるからです。このような現実に対する距離感が、闇の女王を倒して悩みから解放された化身「カーナ」と、悪魔を倒してもなお悩む人間「ヒルダ」の違いなのだろうと思いました。