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視聴したアニメの感想書いてます。

『四畳半神話大系』は『御先祖様万々歳!』に対するアンサー

御先祖様万々歳!! コンプリートボックス [DVD]  押井守監督のOVA『御先祖様万々歳!』(1989-1990) を見返している時に、タイトルのようなことを思った。(『御先祖様万々歳!』のうつのみや理さんとアニメ『四畳半神話大系』(2010) の湯浅政明さんの絵の感じとか、コミカルで芝居的な掛け合いが似ているというのは言わずもがなとして)『御先祖様万々歳!』は、物語の主人公という特別な存在に憧れていながらも、自分から何かをするわけではない男子高校生・四方田犬丸のもとに、未来から先祖に会いに来たという彼の孫娘を名乗る・麿子が現れるところから始まる。それまでの日常に鬱屈していた犬丸は、彼女のような不思議な存在の登場に心躍らせ、彼女の奇想天外な話を下心から受け入れてしまう。そして麿子が四方田家に加わることになり、物語はホームドラマの世界から非日常的な世界へと突入する。犬丸の母・多美子が四方田家を出ていくことになったり、未来の世界から麿子を捕まえにやって来たというタイムパトロール・室戸文明が現れて、犬丸たちは逃亡生活を送ることになったり、その文明が実は麿子の父親(犬丸→文明→麿子)であり、しかも犬丸と麿子の子供でもある(麿子→文明)ことが明かされたりする。(文明の真の目的は、文明→麿子→文明→麿子→文明という無限ループ=タイムパラドックスを断ち切ることにある)  

 犬丸にとって、自分が「物語の主人公」たる最大の根拠である麿子の存在はいっそう大きくなっていくのだが(犬丸の考えとは、「特別な存在の麿子と一緒にいる自分は特別だ」というようなもの)、最終的に文明の自殺によって麿子は姿を消してしまうし、四方田家も崩壊してしまう。そして犬丸は、どこにもいない麿子を求めて永遠に彷徨い続けるというバッドエンドを迎えることになる。第1話の時点で、麿子が黄色い飛行船を指して「あれがタイムマシン」と言った時には、犬丸は彼女の話を話半分に聞いていたはずなのに、最終話の時点では、黄色い飛行船に麿子という幻想を重ねている。まさに、ありもしないものばかり夢見て、自分の足元さえ見ないでいるとどうなってしまうのかを暗示するようなエンディングになっている。

四畳半神話大系 Blu-ray BOX そして私は、この『御先祖様万々歳!』のバッドエンドをハッピーエンドにしたのが、『四畳半神話大系』だと思ったのです。(正確にはハッピーエンドとも違うような気もしますが)例えば、望月智充監督の『きまぐれオレンジ☆ロード あの日にかえりたい』(1988) であったり、庵野秀明監督の『新世紀エヴァンゲリオン』(1995-1996)(特にその劇場版の『Air / まごころを君に』(1997) )なんかは、明らかに視聴者に対して、「現実に帰れ」という強烈なメッセージを含んでいたわけですが、『四畳半神話大系』では、そのように突き放すことはせず、よりマイルドな形で主人公(視聴者)を現実へと着地させているように思うのです。それは『四畳半神話大系』内に出てくる師匠(樋口清太郎)の次の台詞が端的に表していると思います。

可能性という言葉を無限定に使ってはいけない。自分の他の可能性という当てにならないものに望みを託すことが諸悪の根源だ。今ここにいる君以外、他の何者にもなれない自分を認めなくてはいけない。

 実は『御先祖様万々歳!』内にも、「可能性という言葉は無限定に使われるべきではありません」という似たような台詞が出てきます。これは、タイムマシンなどの非現実的な麿子の話を疑う犬丸の母・多美子の台詞で、この2つの台詞を結びつけて考えてみると、『御先祖様万々歳!』のラストにおいて犬丸が永遠に麿子を探し求めるという煉獄に囚われてしまったそもそもの原因は、麿子の非現実的な話に下心から乗っかってしまったことにあり、もしもやり直す(バッドエンドを回避する)のであれば、そこまで戻ることが必要で、ただしその時に、突き放すように「現実を見ろ」と言っても反発を生むだけなので、犬丸が退屈だと感じていたような「日常」を「肯定する」ことが重要であり、『四畳半神話大系』とは、そうして犬丸(『御先祖様万々歳!』)を、現実へとうまく軟着陸させる話だったのではないかと思ったわけです。(ちなみに多美子は第5話の中で、「近未来からタイムマシンでやって来た孫娘なんて、およそ信じがたい設定を願望のままに受け入れたあなたたちが負うべき、これが当然の報いなのよ」と言っていて、バッドエンドを迎えてしまうことには自覚的だったようです)

 アニメ『四畳半神話大系』の第10話では、主人公が四畳半世界に囚われるという、まさに『御先祖様万々歳!』の最終話をなぞったような展開となっています。そして第11話(最終話)では、主人公がそれまで否定し続けてきた「日常」(多数の可能性)が、どれほど実りあるものだったのかを認識し、それを肯定することで見事な脱出劇が描かれます。(この時、客観的に主人公を見てきた私たち視聴者の日常も、ある種肯定されるわけです)こうした展開から、『四畳半神話大系』は『涼宮ハルヒの憂鬱』の「エンドレスエイト」を綺麗にまとめたものだとする見方も多々あるようです。確かに、「エンドレスエイト」はよく『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』と比較されますし、『御先祖様万々歳!』も、もしもラムが詐欺師だったらというアイデアから企画され、『うる星やつら』の裏版とも言われるくらいなので、『四畳半』にしても『ハルヒ』にしても、80年代の押井的なるもの(『ビューティフル・ドリーマー』や『御先祖様万々歳!』)を意識して作られたのかもしれませんね。(要するに、アニメ史的にいうところの「セカイ系から日常系へ」の流れのこと?)